民放労連女性協議会のこれまでの取り組み

労連をめぐる社会情勢と労働法制の変化
私たちの取り組み
1953年 日本民間放送労働組合連合会結成
1963年 日経連、民放を重点産業に指定 民放労連婦人部設置
1964年 放送の反動化闘争(自衛隊宣伝番組『列外一名』(NTV)放映阻止で共闘会議結成 第一回民放労連婦人集会開催
1966年 事業免許制の採用などを根幹とする放送法改悪国会上程 フジテレビで組合が結成され女子25歳停年・女子アナ契約制、交換手35歳停年制廃止を要求
1967年 UHFテレビ親局17社18局に予備免許
第22国連総会で「婦人に対する差別撤廃宣言」が採択
名古屋放送女子30歳停年制撤廃でストライキ
1968年 民放65年争議の裁判勝利相次ぐ
小林郵政大臣「10年以内にVHFをUHF帯に全部移行」と発表
結婚退職制度など婦人部要求で初の統一行動
民放労連第一回婦人代表者会議(東京女子会館)開催
1969年 名古屋テレビ 大木捷代さん「女子30歳停年制」提訴(名古屋地裁)
若年停年制撤廃 広島テレビ・関西テレビ・東京12チャンネル
1972年 浅間山荘事件10時間の生放送
有線テレビジョン法公布
勤労婦人福祉法(後の雇用機会均等法)制定
名古屋テレビ 大木捷代さん「女子30歳停年制」勝訴(名古屋地裁)
フジテレビ労組女子25歳停年制廃止を勝ち取る
1973年 第一次石油危機 テレビ岩手・東海テレビ30歳停年制撤廃
1974年 テレビキイ局5社が全国紙5社に資本系列化
雇用保険法制定
民放労連婦人協議会結成大会(伊豆大川)
民放労連婦人協議会機関紙「まるしえ」創刊
名古屋テレビ 大木捷代さん「女子30歳停年制」勝訴(名古屋高裁)→職場復帰へ
福島中央テレビ労組女子嘱託20名全員の社員化
中国放送、大分放送社員化実現
名古屋テレビ「女子30歳停年制」撤廃
1975年 国際婦人年スタート
1975年、女性教師、看護婦、保母などの育児休業法成立。
開放軍、サイゴンに無血入城、革命政府が全権掌握
福井放送「女子30歳停年制」撤廃
差別雇用反対・社員化闘争対策会議
マスコミ共闘婦人交流会がスタート
国際婦人年世界大会・婦人協松井議長参加
サガ製帳社女性組合員8名全員解雇支援総決起集会
1976年 民法の一部が改正され、離婚の際に婚姻中の氏と婚姻前の氏を選択できることとなった。 「子供とテレビ」「テレビを考える母親と製作者の集い」など、マスコミ団体、婦人団体との共闘前進
1977年 フジテレビの「朴大統領番組」放送に反対して、各地で放送中止 全面解決の中で昇格差別是正、社員化、職業病などで成果(読売テレビ・RKB毎日・広島テレビ)
1978年 日中平和友好条約調印 下請け・アルバイトの社員化、直用化(TVK、ABC、秋田、茨城、西日本)
1979年 国際児童年・婦人協「子供とCMに関するアンケート」を実施
ラジオ関東 青津ナナ子アナ 異職種配転攻撃で「ナナ子さんの会結成」
1980年 大平首相急死、同日選挙で自民圧勝 マスコミ共闘婦人連絡会議が正式に発足
「婦人の雇用の是正を」労働省交渉
1981年 ロッキード裁判
「女子に対するあらゆる差別撤廃条約」発効
婦人協米国放送事情視察ツアー実施
「マスメディアにもっと婦人を!」マスコミ共闘婦人連絡会主催。労働省と総理府へ交渉
1982年 反核50万東京集会 「雇用平等法制定」のための婦人の中央統一行動
1983年 ラジオ関東 青津ナナ子アナ 異職種配転裁判勝訴
「雇用平等法法制化に対する私たちの提案」を労働省に提出
1984年 婦人問題審議会「男女雇用平等法」たたき台発表
マスコミ共闘婦人連絡会議「男女雇用平等法」集会・国会要請
労働省「男女雇用平等法」法案要領を発表
「男女雇用機会均等法」として国会上程
1985年 男女雇用機会均等法(雇用における男女差別撤廃)の成立
女子差別撤廃条約(国連)に批准
労働者派遣法(16業務)の成立
「真の男女平等」を目指す取り組みの開始
日本ビルメン労組結成20名がテレビ朝日に就労と団交を申し入れ。「ビルメン闘争を支える会」結成
1986年 男女雇用機会均等法の施行 民放連への交渉の場で差別雇用に関する改善の申し入れ。
1987年 フレックスタイム制、裁量労働制など導入
女子労働者福祉対策基本方針の策定
東京放送で嘱託13人社員化
1988年 労働省婦人局は民放の女子短期雇用について改善指導
1989年 男女雇用機会均等法施行規則等の改正 民放に働く女性への「均等法後」アンケートを実施。「平等」にはほど遠い実態が明らかに
「南海放送・有期雇用契約についての鑑定意見書」提出
民放労連・女性協でも、「鑑定意見書」を元に学習会を全国開催するなど「有期雇用制度の撤廃」の働きかけ
テレビ愛媛で嘱託契約の有期雇用を撤廃、社員化へ
ビルメン労組、都労委和解の場で解決協定を結ぶ
1990年 全国初、東海ラジオでSFユニオンの19人が均等法に基づく調停申請
(「調停の不開始」・・調停には相手方の同意事項が必要)
ラジオ日本労組の安藤定年裁判「55歳定年制は公序良俗違反、60歳まで延長を」
1991年 育児休業法の成立(子が満1歳になるまで)
1992年 毎日放送で契約アナ・カメラマン他9人社員化
南海放送組合有志が制度撤廃のために機関紙「HANAKO」発行開始
1993年 週40時間制の実施と1年単位変形労働時間制を導入
パートタイム法成立
「労連婦人協議会」を「労連女性協議会」に名称変更
南海放送で215団体署名5661人の個人署名を会社へ提出
熊本放送で長期嘱託4人社員化
1994年 男女共同参画推進本部設置。 南海放送が「契約従業員による募集は中止」と表明
但し、一方で別会社を設立し、契約従業員を雇用
ラジオ日本で在職社員の60歳定年制が実現
民放連、嘱託4名を正職員へ
1995年 ILO156号条約(家族的責任)の批准
育児休業法の改正・介護法の法制化(家族的責任のある男女ともに取得可能)
南海放送で調停申請へ→調停の不開始・・・喜安さんの解雇で提訴へ
<民放だけでなくマスコミ関係労組、有識者による「南海放送の女性差別をなくする会」発足>
富山テレビ、契約社員を廃止。3人を嘱託に
1996年 労働者派遣法(16→26業務)の改正
男女共同参画ビジョン答申
南海放送、喜安さん臨時職員で雇用へ。
女性協定期大会後、労働省への申し入れに
大分放送で前年採用した契約社員3人を社員化
テレビ北海道で嘱託社員3人社員化
朝日ミュージックサービスで3名の常勤嘱託が社員化
1997年 裁量労働制の対象業務に6業務を追加
母体保護法・「女子保護」規定の撤廃
男女雇用機会均等法の改正(募集・採用・配置・昇進については禁止規定に)
「女子保護」規定の撤廃反対の運動
昨年同様、女性協定期大会後、労働省への申し入れに
改正法で、調停において「相手方の同意事項」がはずされ、申請側だけで申請可能に
サンテレビの契約カメラマン3人社員化
広島テレビで美術特別社員の正社員化
1998年 労働契約期間の上限を3年に、裁量労働制をホワイトカラーに拡大 山口放送で長期嘱託者7名が社員化
労基法改悪廃案へ運動
熊本県民テレビで産休が有給に
1999年 労働派遣法の改正(対象業務を原則自由に)
改正男女雇用機会均等法(セクハラ事項も)
男女共同参画社会基本法の成立
(性差にとらわれず、男女がともに個性と能力を十分に発揮する社会へ)
2000年 男女共同参画社会基本法の制定 2000年世界女性行進(3/8)が「貧困と女性に対する暴力の根絶」を共通テーマに行われ、日本では銀座での800人行進を行った。
テレビ東京で産休の有給化
鹿児島読売テレビで女性嘱託社員の32歳若年定年制で雇用延長が実現(但し、契約社員)
2001年 育児・介護休業法の改正(時間外労働制限、公務員の育児休業を3年に延長など) TXN九州で産休が有給化
ソウルでのIFJ女性会議に茅根常任委員が参加
芝信事件で格付け差別を認める判決
2002年 労働者派遣法の一部改正(3年契約制の対象拡大)
専門業務型裁量労働制の対象に8業務を追加
大阪東通の契約社員の社員化
2003年 「次世代育成支援元年」として二年で法整備を
育児休暇取得の目標値設定(女性80%男性10%)

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