政治圧力に屈することなく、放送における表現の自由を守りぬく決議
日本国憲法の平和主義を揺るがす「安保関連法制」が成立してしまった二〇一五年。テレビ・ラジオなど日本のマスメディアは、報道機関としての権力監視機能を十分発揮できたと言えるだろうか。連日、国会前で繰り広げられた法案反対の声をていねいに紹介したニュース番組もあったが、法案審議に待ったをかけるような鋭いスクープ報道は、残念ながらほとんどなかったと言わざるを得ない。
そこには、政治圧力による報道の萎縮や自己規制が、なかっただろうか。
一昨年の総選挙の直前、自民党から在京キイ各局に、選挙期間中の報道番組の「公平中立」を求める「要請」が手渡された後、各局の報道番組から街頭インタビューがほぼ見られなくなった。番組不祥事を理由に、自民党が放送局の幹部を呼びつけて事情聴取する、ということも行われた。番組内容を理由とした、総務省による放送局への行政指導も「復活」した。また昨年一一月には、市民団体によるアピールの形を取りながら、キャスターの発言のごく一部を挙げて「放送法違反」と断じ、政府に対して規制強化を求める意見広告も、新聞に掲載された。
「放送番組編集の自由」を基本とする放送法が、その自由を抑制するために利用されるのは、まったく倒錯した事態ではないだろうか。放送法第三条に「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」とあるとおり、放送に不当な圧力をかけることこそ、放送法違反として責任を問われなければならない。
放送倫理・番組向上機構(BPO)の意見書に、自民党らによる放送局への恫喝のような言動を厳しく諌める指摘があったが、肝心の放送事業者は、放送の自由を守る気概を自ら示しているとは言えない。首相と会食を重ねる放送局幹部の存在も指摘され、市民からは権力との癒着が懸念されている。圧力に対し毅然とした態度を取ろうとしない放送局経営者に、その姿勢を早急に正すことを、私たちは強く求める。
放送法第一条には「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」「放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」とある。これは放送事業者のみならず、政府や国民がともに実現すべき放送の公共的価値を謳ったものだ。私たち放送労働者も、理不尽な政治圧力に屈することなく、国民の「知る権利」に応え、放送における表現の自由を守りぬくために、よりいっそう奮闘することを誓う。
右、決議する。
二〇一六年一月三一日
日本民間放送労働組合連合会 第一二二回臨時大会